最近は毎年一度は中国を訪れている。会社時代も何回訪れたであろうか。
しかし仕事を離れての訪問は誠に楽しい。
それだけの魅力は中国にあるからだが、どうも自分は遠い先祖からこの大陸の血を少し引き継いでいるのかもしれない。
中国に来ると何だか落ち着くのである。故郷帰りの気分になるから不思議である。
今年も去年の大連・旅順旅行と同じメンバーで蘇州・上海と廻った。
我々夫婦だけが成田からだから、関西組の5名とは「上海虹橋国際空港」で落ち合っての旅のスタートである。
仲間の一人が大阪トラベルと云う旅行社を経営している専門家であるから安心である。空港からは前以ってチャーターした20人乗りマイクロバスに7人で直接高速道路を突っ走って蘇州に向った。1時間のドライブだ。
我々のような昭和一桁生まれは皆「月落ち烏啼いて霜天に満つ」で始まる張継(ちょうけい)の「楓橋夜泊」か、渡辺はま子の「蘇州夜曲」♪君がみ胸に抱かれて聞くは…♪が自然と口を突いて出てくる、皆、同じ昭和21年旧制中学入学の同期生だからだ。
然し、唄の巧拙を論じる前に先ず、一言簡単に蘇州の歴史に触れて措かねばならない。
蘇州は誠に古い歴史と文化をもつ江南の都市である。
「臥薪嘗胆」でお馴染みの呉王、闔閭・夫差が活躍してから既に2500年も経っている。
「史記」によれば、この地方は周の大伯が拓いた呉の国であるが、歴史に登場するほど強国になったのは紀元前六世紀の寿夢(じゅぼう)の代で、その孫の僚(りょう)を殺して独立した闔閭(こうりょ)の時代から春秋の覇権争いに参加した。
その時、隣国の越(えつ)と激しく闘った時の復讐への怨念・努力がかの有名な
「臥薪嘗胆」の話しである。
そうして、この長い間の戦闘、外征でさしもの呉国も疲弊し国都であった姑蘇(現在の蘇州市)も紀元前473年滅亡したのです。
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蘇州にある古城遺跡で一番良く保存されているのが盤門だそうです。
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時代が下って唐の詩人「李白」が荒れ果てた姑蘇台の遺跡を訪ね詠んだ七言絶句
「蘇台覧古」が「唐詩選」に収録されていますね。
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旧苑、荒台、楊柳新たなり
菱歌の清唱、春に勝えず
只今、惟だ有り、西江の月
曾て照らす呉王宮裏の人
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昔、漢文の授業で読まれた方も多いのではと思い載せておきました。
菱歌とは菱の実を摘む時に歌う地唄であり、宮裏の人とは、勿論、あの絶世の美女と言われた「西施」を指している。
矢張りこれは歴史を教訓に学ぶべきことを踏まえて詠まれたものだろう。
どうも歳をとると古い事をぐだぐだ書くのが好きになるようで、老人の悪癖かも知れない。歴史はこの辺にして現実の旅に戻りましょう。
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観光に便利と云う事で市内の目抜き通りに有る「凱莱大酒店」を宿としていたので旅装だけ解いて早速夕食に出掛けた。何分にも一行の内3人が女性だから食べる方が主体である。一応街の最高級のレストランで思う存分江南料理とりわけ蘇州料理を堪能した。
蘇州の「蘇」と云う字は草冠に魚と禾でなっているが、読んで字の通り、野菜と魚と禾(米のこと)が豊富なことからこの「蘇」になったのだと云うのが実感として理解できる。揚子江のデルタ地帯で「太湖」を始めとする湖や池・川に囲まれ、お米は二毛作だから申し分ない。
魚は淡水魚だけでなく種類も豊富で何よりも新鮮である。その中で、中国で始めて口にしたものに「田うなぎ」があった。日本のどじょうだろうと聞いて見たが、同じものではないと云う。確かに「どじょう」の様な泥臭さがなく、脂も乗っていて鰻のようだった。大きさは泥鰌と鰻の中間くらいある。地場の野菜(名は忘れたが)と一緒に甘辛く煮付けていて大変な美味だった。
その他、例によって上海蟹も出てきたが私は以前よりそれほど好きではない。
他にも淡水の海老なども唐揚げされて酒の抓みに最適だ。
酒と言えば何と言っても「紹興酒」である。ご存知ではあろうが、紹興酒とは紹興で作られる「老酒」(らおちゅう)の事で、日本酒の中の「灘酒」と同じである。
紹興市は杭州湾を挟んだ南岸にあり、蘇州とは二千年昔の敵、越の国の首都「会稽」があった処である。蘇州からは汽車で4時間近くかかるそうだが、同じ江南地方、水と米の都市には変わりはない。
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早速、陳年(8年)物の紹興酒を頼んだが流石に美味い。それも280元で飲めるのだから私のような酒党には堪えられない。
勿論、東京へ帰ってからじっくり賞味させて貰らおうと別途2本購入して持ち帰った。これこそが旅の余禄である。銘柄は淅江省塔牌紹興酒庁製の「紹興花雕王」(八年陳)これはお薦めです。
食事の後、外気も心地良かったので酔醒ましもあり、皆でぶらぶらホテルまで散策しながら戻った。西安や上海のような大都会ではなく、街の至る所に水路が引かれており、水辺には柳や楓が植えられて、落ち着いた風情のある小都会である。
東洋のベニスと呼ばれるだけのことはある。
余談ではあるが、以前「街道を往く」シリーズで司馬遼太郎が「中国江南をゆく」を執筆する際、暫く滞在した古くからのホテル「蘇州飯店」が直ぐ近くにあった。
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